「ビジネスアスリート」が企業を救う!
~AI時代こそ必要とされるアスリートの4つのマネジメント能力~
単行本(ソフトカバー) – 2024/10/5
三保将司 (著)
アスリートPMOが秘める限りない可能性
本書をお手に取っていただき、ありがとうございます。
私は現在、IT業界へのコンサルタント・PMマッチング業をメインに、特にアスリー
トのセカンドキャリア(引退後のビジネスキャリア)を支援する「アスリートPMO」と
いう事業を行っている『株式会社&ath』の代表を務めております、三保将司と申します。
「アスリートPMO」という言葉を初めて聞いた方もいらっしゃるかもしれません。
「アスリートPMO」とは「アスリート・プロジェクト・マネジメント・オフィス」の略で、
「PMO(Project Management Office)」とは企業の主にIT化・
DX化等に関するプロジェクトを支援・管理するマネージャーを支える社長室的な役割の
ことです。
その「PMO」の前にあえて「アスリート」と付けているのは、アスリート(元アスリー
ト)の方にIT業界のマネジメント機能で活躍していただくことで、アスリート(元アス
リート)のセカンドキャリアを支援したいという思いからです。
ご存じのように、スポーツ一筋に歩まれてきたアスリートの方々の引退後のキャリアに
ついては選ぶべき選択肢が非常に少なく、今や一つの社会問題といえるほど深刻な状況に
なっています。
そうしたアスリートのセカンドキャリア問題を解決することはできないものだろうか。
私は自身もスポーツ一筋のアスリート人生を歩んできただけに、他人事ではなく自分自
身の問題として捉え、その解決方法を探ってきました。そして自らの体験をもとに、アス
リートの引退後のキャリアとして最適な道だと確信したのが「アスリートPMO」です。
つまりアスリートの方にIT業界で活躍していただくことで、アスリートとしてのキャ
リアを活かし、IT業界で新たなビジネスキャリアを築き上げていただく。
それこそがアスリートのセカンドキャリアに最もマッチすると自信を持つに至りました
アスリートPMOが秘める限りない可能性
本書をお手に取っていただき、ありがとうございます。
私は現在、IT業界へのコンサルタント・PMマッチング業をメインに、特にアスリー
トのセカンドキャリア(引退後のビジネスキャリア)を支援する「アスリートPMO」と
いう事業を行っている『株式会社&ath』の代表を務めております、三保将司と申します。
「アスリートPMO」という言葉を初めて聞いた方もいらっしゃるかもしれません。
「アスリートPMO」とは「アスリート・プロジェクト・マネジメント・オフィス」の略で、
「PMO(Project Management Office)」とは企業の主にIT化・
DX化等に関するプロジェクトを支援・管理するマネージャーを支える社長室的な役割の
ことです。
その「PMO」の前にあえて「アスリート」と付けているのは、アスリート(元アスリー
ト)の方にIT業界のマネジメント機能で活躍していただくことで、アスリート(元アス
リート)のセカンドキャリアを支援したいという思いからです。
ご存じのように、スポーツ一筋に歩まれてきたアスリートの方々の引退後のキャリアに
ついては選ぶべき選択肢が非常に少なく、今や一つの社会問題といえるほど深刻な状況に
なっています。
そうしたアスリートのセカンドキャリア問題を解決することはできないものだろうか。
私は自身もスポーツ一筋のアスリート人生を歩んできただけに、他人事ではなく自分自
身の問題として捉え、その解決方法を探ってきました。そして自らの体験をもとに、アス
リートの引退後のキャリアとして最適な道だと確信したのが「アスリートPMO」です。
つまりアスリートの方にIT業界で活躍していただくことで、アスリートとしてのキャ
リアを活かし、IT業界で新たなビジネスキャリアを築き上げていただく。
それこそがアスリートのセカンドキャリアに最もマッチすると自信を持つに至りました
ではなぜアスリートのセカンドキャリアにIT業界のPMOがベストマッチするのか。
その理由については本書で詳しくご説明させていただきますが、ひと言でいえば、一つ
のスポーツを突き詰めてきたアスリートが備える4つのマネジメント能力は、IT業界の
プロジェクトマネジメントに最適で、最大限にその能力を活かせるからです。
そう断言できるベースには、私自身の経験があります。
私の運命を変えたIT業界との出会い
私がなぜ『&ath』という会社を作ったのか、なぜアスリートPMOという事業を始
めたのか、私の自己紹介を兼ねて、そのあたりの事情を少しお話しさせていただきます。
私が「スポーツに関する仕事をしよう」と思ったきっかけとなる一番大きな出来事は、
父の死です。
父が亡くなったのは今から8年前。
当時私はIT業界の人材マッチング事業を行っている会社の営業担当のサラリーマンでした。
ある日、一人暮らしをしていた父のもとを訪れた私が目にしたのは、すでに亡くなっ
ていた父の冷たくなった姿。
父は孤独死でした。
小さいながらも事業を営んでいた父の半生はまさに山あり谷あり。私が子供の頃は順調
だった家業が徐々に傾くにつれて家計は苦しくなり、両親が不仲となって私が小学校5年
生のときに離婚。それ以来、私と2つ下の弟は、父親と母親のもとを行ったり来たりする
生活を送りました。そうした生活を送る中、父の晩年は経済力もなく、生活保護を受けて
ようやく生活していたのです。
そんな父が亡くなる前、父の家で一度だけ親子水入らずで2人きりで飲んだことがあり
ます。そのときすでに身体がかなり弱っていた父ですが、息子の私と初めて一緒に酒を酌
み交わした席で、私はずっと気になっていたことを父に尋ねました。
ではなぜアスリートのセカンドキャリアにIT業界のPMOがベストマッチするのか。
その理由については本書で詳しくご説明させていただきますが、ひと言でいえば、一つ
のスポーツを突き詰めてきたアスリートが備える4つのマネジメント能力は、IT業界の
プロジェクトマネジメントに最適で、最大限にその能力を活かせるからです。
そう断言できるベースには、私自身の経験があります。
私の運命を変えたIT業界との出会い
私がなぜ『&ath』という会社を作ったのか、なぜアスリートPMOという事業を始
めたのか、私の自己紹介を兼ねて、そのあたりの事情を少しお話しさせていただきます。
私が「スポーツに関する仕事をしよう」と思ったきっかけとなる一番大きな出来事は、
父の死です。
父が亡くなったのは今から8年前。
当時私はIT業界の人材マッチング事業を行っている会社の営業担当のサラリーマンでした。
ある日、一人暮らしをしていた父のもとを訪れた私が目にしたのは、すでに亡くなっ
ていた父の冷たくなった姿。
父は孤独死でした。
小さいながらも事業を営んでいた父の半生はまさに山あり谷あり。私が子供の頃は順調
だった家業が徐々に傾くにつれて家計は苦しくなり、両親が不仲となって私が小学校5年
生のときに離婚。それ以来、私と2つ下の弟は、父親と母親のもとを行ったり来たりする
生活を送りました。そうした生活を送る中、父の晩年は経済力もなく、生活保護を受けて
ようやく生活していたのです。
そんな父が亡くなる前、父の家で一度だけ親子水入らずで2人きりで飲んだことがあり
ます。そのときすでに身体がかなり弱っていた父ですが、息子の私と初めて一緒に酒を酌
み交わした席で、私はずっと気になっていたことを父に尋ねました。
広島出身でカープファン、野球好きの父ですが、野球に限らず柔道でもフェンシングで
も、あらゆるスポーツが好きで、ちょっと感動するようなシーンがあると、父はテレビの
前でボロボロ泣き出すのです。
「何でそんなにスポーツが好きなの?何でそんなに涙もろいの?」
私の質問に父は静かに答えました。
「お父さんの人生はいろいろあった。良いときも悪いときもあった。人にも騙された。
でもスポーツは嘘がないから好きだ」
それが父と最後に交わした会話です。それから間もなく父は亡くなりました。
「スポーツは嘘がないから好きだ」
父が亡くなってからもずっと、父のこの最後の言葉がいつまでも私の心に残って
いたのです。
私自身も野球が大好きで、小学校から野球に没頭する野球少年でした。
当時はまだ父の家業が順調だったこともあり、小学校から立教に通っていた私は俗に言う
“ボンボン”でした。
小学校、中学校、高校と野球一筋だった私は、高校ではサードでレギュラー。守備が
良かった私は地元の埼玉新聞に小さい記事ながらも取り上げていただいたこともあります。
プロこそ目指していませんでしたが、大学に行って憧れの立教の縦縞ユニホームを着るのが
夢でしたし、当然エスカレーター式で大学まで行けるものだと思っていました。
あれは高校3年の夏の埼玉県大会でベスト16で負けた後、私の高校野球生活が終わった
ときでした。
「お前にちょっと話がある」
そう切り出した父から告げられたのは衝撃的なひと言でした。
つづきはぜひ本書をおよみください、、、、
広島出身でカープファン、野球好きの父ですが、野球に限らず柔道でもフェンシングで
も、あらゆるスポーツが好きで、ちょっと感動するようなシーンがあると、父はテレビの
前でボロボロ泣き出すのです。
「何でそんなにスポーツが好きなの?何でそんなに涙もろいの?」
私の質問に父は静かに答えました。
「お父さんの人生はいろいろあった。良いときも悪いときもあった。人にも騙された。
でもスポーツは嘘がないから好きだ」
それが父と最後に交わした会話です。それから間もなく父は亡くなりました。
「スポーツは嘘がないから好きだ」
父が亡くなってからもずっと、父のこの最後の言葉がいつまでも私の心に残って
いたのです。
私自身も野球が大好きで、小学校から野球に没頭する野球少年でした。
当時はまだ父の家業が順調だったこともあり、小学校から立教に通っていた私は俗に言う
“ボンボン”でした。
小学校、中学校、高校と野球一筋だった私は、高校ではサードでレギュラー。守備が
良かった私は地元の埼玉新聞に小さい記事ながらも取り上げていただいたこともあります。
プロこそ目指していませんでしたが、大学に行って憧れの立教の縦縞ユニホームを着るのが
夢でしたし、当然エスカレーター式で大学まで行けるものだと思っていました。
あれは高校3年の夏の埼玉県大会でベスト16で負けた後、私の高校野球生活が終わった
ときでした。
「お前にちょっと話がある」
そう切り出した父から告げられたのは衝撃的なひと言でした。
つづきはぜひ本書をおよみください、、、、